作り物を評価する文化

消費されているのは"ストーリー"? - 斗比主閲子の姑日記

 

"耳の聞こえない作曲家"の真相が世間を賑わせている。

僕には不思議なのだが、このことでコンサートが中止になったりCDが絶版になったりしている。

良い音楽でないなら、わざわざコンサートをしたりCDにしたりしないものでしょう?

それがプロだと思うのだけど。

音楽という芸術においては、盗作でなくても”産地偽装”をすると評価されなくなるということになる。

もし、卓越した芸術であれば、ゴーストライターとして埋もれていた作曲家がいた、という話になる。

そうは言われていないのだから、音楽としては凡庸なものだったのだろう。

それとも、詐欺だからダメなのだろうか。

それなら故・人見安雄のように、犯罪者であり芸術家でもある、といったように独立して評価するには値しないものでしょうか。

ナチス芸術のように、何らかの権威が作り上げた流行として評価し、それが根底から覆されたら評価自体も相対的に覆されるということでしょうか。

感動というものが記憶であるなら、思い出した時に記憶が修正されたために同じように感動できない、ということが問題なのでしょう。

それはともかく、

下腹、二の腕もそのままに ”フォトショ前”の女性モデルを起用した下着ブランドの広告が話題に|ウートピ

フォトショばかりの広告を見続けている女性にとって、理想のスタイルがフォトショ基準になっているのが問題のようです。

健康的なスタイルは二の腕も健康的、という当たり前のことが大事なんですよね。

自然がいちばんでも、”自然です”というストーリーが評価されているんでしょうか。

 

追記

どうも、”障害者を冒涜している”のが問題のようですね。

日本一ヘタな歌手の舞台化が問題になったのと比べたくなるけれど。

論理性と陰謀論

科学は論理的である。より多くの検証で有意性を確かめればいいが、それが政治的な意味合いをもつものなら検証自体にバイアスがかかっている可能性がでてくる。

 

その業界に巨大な利権が絡んでいると認識しつつ、公平な論理を積み上げていくには、より公平な検証の積み上げをしていかなくてはならない。

名誉が毀損されれば、広告の役を果たさなくなる。

 

社会に出て数学がなんの役に立つか?

役に立たないからこそ公平だ。

 

歴史的な新発見は、それだけで新たな投資対象になる。

しかし名前が似ているだけで、ふえるワカメに投資をした人がいることは覚えておくといい。

小説で活性化する脳

人は小説を読むことで、脳に長期的な影響を与えることが判明(米研究)

そうなのか。

 

昔から本を読むことで想像力を養うことで頭が良くなると言われていましたが、実際の脳の動きを観察してみて、読書の影響が残っていることが確認されました。

確かに脳が活発になっているのだから、賢くなるんだろうなと思う。

 

小説を読んだ後だと、口調がまるで変わることがあるので、影響を受けているのは確実だけど。人によってそれが黒歴史レベルになるくらいだと困るけど。

 

あと、漫画はどうなんでしょう?

 

漫画を読んだらバカになるというのを聞いたことがあるけど、これを検証したことはあるんでしょうか。

同じ条件で脳を調べれば、真偽がわかるかな。